阪神淡路大震災の中で生きた真実①(被災者が語り継ぐ体験記ブログ)
2019年01月16日※被災者である僕の体験記を、 このブログに5日連続の連載として記載していきます。
これまで過去10年以上に渡って、 mixiやfacebookなどのSNSを通じて、 その経験を伝えることにしてきました。
去年自分のブログを作りましたので、 今年はここで記載しようと思います。
mixiやfacebookではどうしても、 友達だけにしか伝えられないですが、その点、 ブログは公開なのでたくさんの人に読んでもらいたいと思いました 。
過去にも地震の概要やその感情は伝えてきたが、 実際に起きたリアルな現場の真実は伝えてはなかったです。
だから、伝える。
僕がブログを始めた大きな理由がここにあります。
自分の生で体験した真実をたくさんの人に伝えて、 その感情や気持ちを動かして、 その人にとって読んで変われたと実感できるブログでありたいと思 っていつも書いています。
体験した、1つ1つの出来事を。
生き延びられた、一生分をかけて。
僕たちは同じ場所で、 生き残れなかった人たちの想いも背負って伝えていかなければなら ない。
あの時あの神戸で何があったのか?
◎1995年平成7年1月17日(火)5時46分
当時、13歳中学1年生。その日は1月年明けの、14日(土) 15日(日)16日(月・祝)の3連休明けの平日始まりだった。
実は最近、昔のカレンダーを調べたら分かったことで、 3連休やったこともその3連休何してたかも、全く記憶にない・・ ・
寝静まった。午前5時46分
今でもその1分くらいの凄まじい揺れは、 目と体に焼きついて覚えている。
脳が憶えていて、何度も鮮明に走馬灯のようによみがえる。
最初は細かい横揺れの微振動で目がはっと覚め、 なんか揺れてると思った。カタカタカタ、、、、 何かの前触れのように、家の中がかすかに響き渡る。
その10秒後くらいに、
「ドドーーーーーン!!!」 っていう衝撃波と共に視界が一瞬にしてくらんだ。
「ドドーーーーーン!!!」
明らかにさっきの揺れと違う。身体全体に確かな重力を感じる。
最初は横揺れだったけど、本当に恐ろしいのは縦揺れだった。
感覚的には大げさかもしれないけど、上下に1mくらい? のとてつもないG(重力)を感じる。
しかもその振動数は半端なく、マンションごとゴジラに掴まれて、 シェイカーでシェイクされているのかってくらい。子どもながら、 この時初めて、この世は終わったんだと思った。
それが30秒以上続いた。
その間、家の中のガラス棚、食器、グラス、 それらがぶつかり合って、「ドンガラガッシャン! バリンッバリン!ドンガラガッシャン!!」って鳴り続けてる。
家の外でも
「ドカーーーン!」「どどぉーーん!」「 ズシーーーン!」 って物凄い今までに聞いたことのない大きな音が鳴ってる。
「ドカーーーン!」「どどぉーーん!」「
※これは何の音だったのか、2話目以降で明らかになる
この悲惨な状況が、一生続くかと思った。夢なのか? 映画でも見ているのか?
でも、目や耳ははっきりしていて、 考えも意識もしっかりしている。この地域だけではなく、 その時は本当に地球滅亡、地球全体が終わったのだと思った。
◎地震が起きた後、普通の生活が出来なくなる
次第に揺れがだんだん、だんだんと収まって、 数分くらい続く地獄が止んでいった
「生きてる?生きてた!何があったん?意味わからん!」 丁度夜が明けて薄暗い部屋で周りを見渡した。
横を見たら、弟が思いっきり本棚が倒れてきた下敷きになって、 漫画まみれになってる!
リビングを見たら、ガラス戸の食器棚の中のものが、 全部外に出て、 下に足の踏み場も全くない無残なほどに散らばってる。
その中心に、お父さんとお母さんが一緒にくっついて、 お母さんは震えていて、お父さんは必死で支えてたいた。
家族で、リビングに集まり、
「何が起こったん?」って話始めた。
「何が起こったん?」って話始めた。
「地震ちゃうんか」と。
「いや、こんな地震あるん?」
「いや、こんな地震あるん?」
「テレビやってるんちゃうん?」
って、つけたら、つかへん・・・
って、つけたら、つかへん・・・
「ぇ?電気も何もかもつかんやん!」
「冷蔵庫真っ暗やん!水も出ぇへんし、ガスもつかへんで! なんなん?何が起こったん?!」
その時のことを思えば、停電とかした経験がなかったので、 当たり前のように使っていたものが全滅と言うのは当然初めてで、 理解が出来なかった。
「ってか、食べモンもグチャクチャで、 料理もなんも出来んから食うもん、食パンしかない! 牛乳とお茶とジュースはある」
そういえば今日から学校で、 お父さんも会社行かなって話も出たけど、 電話も通じないからそこがどうなってるかも分からん。
(当たり前やけど、 その当時はネットどころか携帯電話も一切ない時代)
◎僕たちはまるで何もわからない中に取り残された
「外どうなってるんやろ?」ってふと思った。
ぇ・・・・・?
扉を開けて外を見た瞬間、絶句。
東から朝日が差し込む眩しいほどの光の中、 7階のマンションの廊下から見た、見慣れた街は、 赤と黒の炎で覆われて、その先が何も見えない暗闇だった・・・
「学校行くどころか、ここから下にさえ行けへんやん。 よくこの建物立ってるな?」
「ってかここにおっても、危なくない?」
でも、ここに居るしかなかった。 どこに行けばいいか分からなかった。 家族が一緒にいる場所に居るしかなかった。
その日、僕らが知っていたのはそれだけでしかない。
ここで何が起こったのか?日本で何が起こったのか?地球全体で?
その情報も得る手段もなく、 規模も範囲もどこまでかわからないまま、 とにかく家の中を片付け1日過ごした。
1月の夜。
日は早く落ち、夕方6時には暗くなる。
周りの明かりがいっさい何もないから、本当に真っ暗になる。 月明かりがあったような?
しかも、この今の時期と同じ真冬の1月中旬で、 暖房器具も一切使えないから、寒い・・・
食べ物は残ったお茶、牛乳、食パン、生野菜、お菓子、海苔。。。 冷凍食品は自然解凍されるが、、、
他にも、お餅とか米とか肉とかカップラーメンとか、 ほとんどの食材は水とガスと電気がなければ食えたもんじゃない。
家族4人でタンスにあった仏壇用のロウソク8本入りを見つけて1 本に火を灯した。
それを囲んでみんなでパンとお菓子をかじって食べた。
1時間ほどでロウソクもなくなってきて、 8時くらいにはもう何もすることが出来なくなり、
散らかってどうすることもできない部屋の中で眠りについた。。。
「明日からどうやって生きていくんやろうか?」
↓↓↓第2話に続く
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第2話はこちらから
阪神淡路大震災の中で生きた真実②(被災者が語り継ぐ体験記ブログ)
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