『六甲縦走殺人事件』 第四章~夜の摩耶山で事件発生~
2024年03月09日第一章を読んでいない方はこちらから
↓
『六甲縦走殺人事件』 プロローグ、第一章
六甲縦走殺人事件
第四章 夜の摩耶山で事件発生
【午前0時58分】
市ケ原の櫻茶屋前には、まばらにランナーもいて、自販機とトイレもあり、キャノンボールが行われる時は夜中も含め24時間お店も営業している。六甲縦走の半分の地点でもあり、これから続く最大の難関、摩耶山に向けてここで休憩を取る人がほとんどだ。
「トイレも行ったし、飲み物も買ったし、そろそろ行きましょうか~」
「はい、いよいよ夜の摩耶山ですね!」
「こっちから登るときついけど、多分ナイトだとそこまで感じないわね」
六甲縦走路で最難関と言われる摩耶山は、ここ市ケ原の250mから摩耶山上にある掬星台690mまで続く、連続のアップダウンがあり440mほど登る。累積標高となるともっとあることになる。
「人が少ないと明かりも少なく、少し怖いわね」
「そうですね。ルーカスさんがいないと盛り上がりに欠けるし、いつもの3人になってしまいましたね」
「谷さん、掬星台まで行けば人も一杯いるし、そこまで頑張りましょう」
鉄平はそう言って、摩耶山の最初のパート、木の連続階段を登りだした。途中でトゥエンティクロスとの分岐があり、本格的な登りが、暗い山道で始まる。
「摩耶山は長いので、ゆるゆる行きましょうね」
「出た!ゆるゆる詐欺!そう言って、結構速いペースで引っ張って、結局はゼイハァするやつですよね」
「いやいや、僕はゆるゆる詐欺はしなくて、一緒にいる人のペースになるべく合わせますよ」
「と言っても、この3人じゃ…結局まあまあ速いペースよね」
「まぁ、六甲縦走8時間ペースくらいなので」
【午前1時12分】
連続の階段を登り、少し丘みたいなとこに出て、一旦下りだす。細いトレイルを進んで行くと、「六甲ハーブ園」の看板がライトに照らせれ、その先を進むと岩場の多い下りになってきた。そこからまた見上げるような登りが始まり、ここからが第二パートとなる。
「ここは階段は無いけど、急な登りが続いて少し岩登りもある難関です」
「前に来た時は下りだったけど、それでも軽やかに走れないくらい相当な激下りよね」
「里保さんでもそう言うんだから、僕なんてヒーコラヒーコラでしたよ」
急な登りを越えて、少し日ロックなっていた学校林道分岐に出て、その先へ進むと一旦、細いトレイルになり少し下りだした。
「登って下って、また登って。この下りがある分、余計に登るわよね」
「そうなんですよ、だから累積標高も増えるんですよね」
「僕は登りが好きなんで問題なしです!」
「でも、その分下りが多いのよ」
「あぁ~~」
「あんたトレランバカね」
【午前1時28分】
先を進むと大きな岩が多くガレてきて、目の前には岩場の登りが見えた。ここからの第三パートはガレ場の岩登りとなる。ゴツゴツした岩の壁が何回もありロッククライミングのように登って行く。
「こうして手足4本使って岩を登っていると、なんかカニみたいですね、里保さん」
「またカニの話?カニは横歩きよ、それに足は8本だし」
「この山はさすがにカニは出ないですし、この時期にではまだ早くてさすがにハチは出ないわよね」
「分かんないですよ、秋が繁殖期で狂暴ってだけで、春になるとハチは普通にいてます」
「そうよね~冬と夜は寝てるかもしれないけど一応、警戒しとかないとね」
摩耶山の登りは木に囲まれて森みたいなトレイルをずっと進んで行くので、展望台のような広場もなく永遠と夜は暗い道のりが続く。しかし、時折、木々の間から見える神戸の街の明かりが眩しかったりする。ヘッドライトの明かりが、目の前の木から垂れ下がった葉っぱに当り、影が動いてビックリしたりすることもある。
【午前1時43分】
急な岩登りも乗り越えて、アップダウンが続くシングルトラックを越えて、少し広い地蔵谷との分岐点に出て最後の摩耶山の登りに来た。
「ここは細かいショートカットがあるけど、ナイトでは分かりにくいから付いてきてくださいね」
「鉄平さん!付いて行きます」
「あんたいつもついて行くだけで、覚えてないわよね」
そう言って、大周りで何個か行く通常の道を、最短距離で行けるルートが、このごろごろ坂には何回かある。その道を通りながら、摩耶山までの最後の石階段と木の階段まで来た。
「これを登り切ったら摩耶山上の鉄塔広場と黒岩尾根分岐や摩耶山山頂への分岐を越えて、舗装路を下って登るとついに掬星台ですよ」
「ここのあずま屋エイドは大きくて、色んなものがあってつい長居しちゃいますよね」
「やめちゃエイドって言うしね」
舗装路に出て摩耶山山頂の分岐で右に行かず真っ直ぐロードを下る。摩耶山の山頂は702mであり、近くにある天上寺に釈迦の聖母「摩耶夫人」をまつっていることからこの名がついている。
また、掬星台は690mとなっていて、夜になると神戸の1000万ドルの夜景が素晴らしく日本三大夜景の1つとなっており、星を掬(すく)えると言う意味からこの名が付いた。
【午前1時55分】
バス停がある舗装路から掬星台広場への階段を登り、左にはトイレ、右には自販機がある広場に着いた。時刻は夜中の2時前にもなるのに明かりがついて音楽も鳴っているところがあった。正面には屋根付きの休憩所あずま屋があり、そこには灯りが付いており、何か美味しいものを炊いている煙も出て良い雰囲気だ。
「ここには大きな、ずん胴で炊いている名物の豚汁に、生のサーバー、から揚げとポテトの揚げ物、ドリンクも各種あります」
「最高ですよね~ここで長居したくなっちゃいます」
谷山は足早と湯気が黙々と立っていた味噌風味の香り高いにおいのする、出汁でゆで上げられた豚肉と野菜たっぷりの美味しそうな豚汁に駆け寄った。
鉄平が奥に行くと、頭に小型のゴープロカメラで動画を撮っていたトップトレイルランナーの寺内博司がいた。
「今回、ナイトスピードで動画を撮りながら走ってるんですよ~」
「そうなんや、動画を撮りながらエイドも撮って、やっぱり速いよね」
「また明日ユーチューブにアップしますね。ロードの下にもエイドがあるって聞いたんで先に行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい、また追い付けたらよろしく」
谷山と里保が並んで豚汁を食べながらゆっくりしていると、そこに疲れた顔をした横川康史が走って来た。
「ゼェハァ… やっと追いついた!」
「あ!横川さん!僕のライトありました?凄い!ここまで追い駆けて来たんですね!速い!」
「あったよ、ほら。トイレの横に落ちてた。谷山って名前もシールで貼ってた(笑)」
「ありがとうございます~」
「横川君、お疲れ様。亮のためにわざわざありがとうね、ここからヘッドライトがあった方が助かるわ」
「そうですよね、里保さん。ここからはロードが多くなるので、手持ちのライトだけじゃ走りにくいし、二人とも速いし」
「横川君も良かったら、一緒に行こうね」
「はい!ついて行けたら!」
【午前2時0分】
横川と合流して、飲食しながら話していると、菊水山前エイドで鉄平たちと離脱した山田はるみと田中知美も追い付いて来た。
「里保さん、私たちも摩耶山を頑張ってやっと追いつけました!」
「凄いわね、やっぱり登りは強いわね」
「また、里保さんとお話ししたかったので。私の子どもの時からの憧れですし」
山田はるみが答えると、里保が申し訳なさそうに話した。
「あの時はごめんなさいね~若気の至りよ。今はこうやって一緒に走れるようになって良かったわ」
「みんなで再会の乾杯しましょう~」
鉄平がそう言うと、それぞれが好きな飲み物をついで、マイコップを合わせて乾杯した。
「色々食べて飲んだし、そろそろ行きますか~」
午前2時過ぎになり、鉄平たちは出発する相談を始めた。
「私たちはまたここでも、もう少しいます。またロードを飛ばして追いかけますね」
山田はるみは豚汁のおかずを口にほおばりながら答えた。
「谷さんと里保さんは、またロードとトレイルに分かれて、どっちか速いかやってみてください。ここいつも気になるとこなんで」
「はい!鉄平さん!僕はアゴニー坂の下り苦手なんで、里保さんならトレイル下り速いし、いい勝負かもしれませんね」
「ナイトの下りは一人だと少し怖くて苦手だけど、頑張ってみるわ」
「それもありますけど、ロードは摩耶山付近で車が多いので危ないと思います…」
「そうね、あんなこともあったしね」
「自分は先にロードを走って行きます。ロードは遅いのでどこかで追い付いてきてくださいね」
と、警察官ランナーの横川が走り出す準備して、あずま屋を出発した。
「さっき、おだまゆさんから電車で帰って家に無事付けたと連絡ありました。家の最寄りの千里中央駅の自撮り写真も送られて」
「あら、良かったわね。心配だったわ。ルーカスはどう?」
「ルーカスさんも連絡来て、さっきエイドの手伝いしてますと写真付きで来てました」
それを聞いて、里保と谷山も、
「そろそろ私たちも行くわよ」
準備を済ませて二手に分かれる階段の下り方面へ走り出した。
【午前2時4分】
鉄平は最後に持っていた飲み物を一気に飲み、顔つきが真剣になり、ついにここからだ、と置いていたリュックを準備して、ブログ用のあづま屋の写真を撮って、同じく階段の下り方面へ走り出した。
あずま屋のエイドから出発し、谷山と階段下の舗装路で松下里保は階段下のトイレの前で谷山亮と分かれて、通常の六甲縦走路となるルートを走りだした。
松下里保は一人になり走るのが好きだった子どもの時のことを思い出していた。
小さい頃は親に連れられて、須磨の山によく行っていた。その頃から下りも軽やかに走っていたように思う。
暗いトレイルに入り、小学6年生の時の山田はるみのことを思い出した。その時は若気の至りだったか、調子に乗っていたのか、はるみちゃんをイジメていたんだったわ… そのあと、中学は別になり、お互い陸上部で長距離で本格的に走り始めていた。たまに大会で会うこともあったが、顔を見るだけでその時は気まずくて話せなかった。でも、陸上を大人になってから離れて、またトレランと言う形で走り出して見える世界が変わった。そうして鉄平や谷山とも出会い、こうしてまた楽しく走るようになった。人と競うことなんて小さな世界だったんだわね。自然や世界はこんなに広いのにと思うようになった。
「良かったわ。また、はるみちゃんと山で出会えて」と里保は小さくつぶやいた。
谷山亮は里保と別れ、バス通りの舗装路を走り出した。ロードは気持ち良く走れる。やっぱりトレイルよりロードの方が好きだ。でも、鉄平と出会って、変わった。
山に入ることで都会からの喝采から離れ、日常の疲れや仕事でのストレスからも解放され走ることができる。
その後、同じくロードからトレランを始めた松下里保と出会った。一緒に山を走る日も増え、須磨の山々を走って飲んで帰るようにもなった。人生は日常がルーティン化してしまった時に生きる意味を失う。だが、いつも新たな刺激や環境の変化、日々とは違う刺激が日常には必要だ。
でもその過程には悲しいこともあったりする。鉄平には悪いが、須磨に二人で住むようになった。去年の冬だ。一緒に住み始めるようになる時に、前の自分の家で飼っていた猫も一緒に引っ越しした。猫はなかなか里保に懐かず、苦労して… 谷山が出掛けていた時に、住んでいた5階の部屋のベランダから、窓の隙間が空いていたことで、猫が飛び降りて亡くなってしまった。あの時は悲しかったなぁ~と思い出した。鉄平が心配して、すぐに来てくれたなぁと。
【午前2時5分】
その時、ルーカスは大龍寺前で早めにエイドを撤収し、車に乗せてもらって神戸の市街地に帰るために出発した時だった。真っ暗な森深い再度ドライブウェイの道を車で下って、ここで離脱してしまったことをとても残念に思っていた。グーグルマップを見ながらどこを通っているか見て、ネットカフェを探していた。明日は一回、JR灘駅付近の家に帰って、病院に行こう。明日は仕事が休みで良かった。
ルーカスはポルトガルで情報科学系の大学を出て、スマホのアプリを開発するベンチャー企業で働いていた。スノーボードをスイスの山でやっていた時に、日本のアプリ開発が面白いと仲間に聞いた。その時に、山で走るトレイルランニングと言うのがあると言うのも知った。
それから日本語も勉強し、休日は山でも走るようになって、2年前、日本の神戸でアプリ開発の企業に入社した。ネットで検索すると「鉄平塾」と言うトレランに特化した塾があることを知り参加した。そこで鉄平と出会うことになる。
【午前2時7分】
ロードを走り出して少しすると、横川康史はさっきのエイドで温かいものと夜の飲み物を胃に補充したので、眠気が襲ってきた。一旦、誰もいないし、歩道の片隅で仮眠を取ろうと横になった。
横になってすぐ、驚いた表情をしたカップルが「すいません!大丈夫ですか?」と声を掛けてきた。こんな夜に真っ暗な道で倒れているから、殺人事件か何かと思ってビックリしたようだ。
目も覚め、ここは車で週末の夜は、掬星台からの夜景を見るカップルや若者が通るんだと気付き、とぼとぼと走り出すことにした。
横川は警察官になって、仕事の一貫で走ることもあり、マラソンを始めた。マラソンは続けていたが、サブスリーができずに記録が頭打ちしたので、家の近くの宝塚の山を走るようになった。そこで一人で六甲縦走をしていた里保と出会った。一緒に走るようになり、谷山や鉄平たちとも知り合って、神戸の山々を休みが合えば走るようになった。
【午前2時9分】
里保がロードではなく、通常の六甲縦走路のトレイル道に入り、その奥に出てきた緩やかな登りの石階段を走って行った。
その後、下りに差し掛かり、ホテルデマヤが見えたところで、後ろでかすかに何かの足音がしたことに気が付いた。振り返る間もなく、首筋の後ろ側に針で刺したようなチクっとした痛みと衝撃が走った!
「なに!?ハチ?やられたの?」って思っている間に力が抜けて走れなくなり、数歩ヨタヨタと歩いたところで力尽きその場にうつ伏せで倒れてしまった。
先ほど後ろから来た足跡は、頭の横を過ぎて行き、颯爽としたスピードで、姿も見る間もなく一気に駆け抜けて行った。
あっという間の出来事だった。里保は力尽きて、わずかに意識はあるが、その場にうずくまり動けなくなった。あたりは真っ暗で先に明かりは見えるが、しーんとした中に、時より虫の鳴き声がかすかに耳に聞こえて、次第にその音は途絶えて行った。
『六甲縦走殺人事件』 第五章~夜の東縦走路で更なる事件~
▶